それでも心のよりどころの患者会には欠かさず参加していました。| わたしの乾癬物語【明日の乾癬 by UCBCares】
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CHAPTER 12
未だに乾癬の症状が悪化し、治療してもなかなか改善せず、誰にも相談できずに悩み苦しむ人は少なくありません。
赤池紀彦さんもそのような経験をした一人。引きこもりになったり、気分が落ち込んでうつ状態になったりという時期を経験しています。つらい体験をどのように乗り越えてきたのか、話していただきました。
初めて症状が出たのは、今から9 年ほど前、32 歳の時でした。急にフケが大量に出るようになり、頭皮を触ると発疹があったので、近所の皮膚科を受診しました。診断は「頭のできもの」。坊主頭にするよう指示され、軟膏を塗っていれば治ると言われました。
ところが、半年経っても全く治りませんでした。さらに体にも紅斑ができてきたので、そのことを訴えると別の皮膚科を紹介され、そこで乾癬と診断されました。そして、「(乾癬だから)治らないね」と。
乾癬という病名は、それまで聞いたことがありませんでした。どんな病気で、どんな治療をするのだろうと不安に思ったのはもちろんのこと、「治らない」と言われて、どう表現して良いのかわからないほど絶望的な思いになりました。
頭や顔などへの塗り薬と内服薬です。でも、突然大量の発疹が全身に出てきたり、皮膚が硬くなったり、頭皮にかさぶたがたくさんできて
なぜそんなことになったのか原因もわからず、どうしたらいいのか誰にも相談できなくて、まさに地獄でした。自分の手に出ている発疹や鏡に写る顔の発疹を見たりするだけで激しく気持ちが落ち込んでしまい、思考がストップします。外見の悪さから人の目が気になるので、近所のコンビニに行くこともできなくなり、外出する気力が完全に失せてしまいました。ますます運動不足になり、栄養面をちゃんと考えて食事をとっているわけでもありませんでしたから、症状は悪化する一方でした。
うつのような状態になり、心療内科にも何回か通院しました。でも状況は何も変わらなくて、仕事もせず家に引きこもるようになってしまいました。
乾癬と診断した主治医から、「飲み薬よりも効果が期待できる生物学的製剤が出たから受けてみないか」と勧められたことはありました。ただ当時の私は、生物学的製剤に対する偏見がありました。生物学的製剤は、乾癬が悪化した最終段階の人が使用する薬剤だと思い込んでいて、そんなに効果があるのなら強い副作用が出るのではないか、一度使用したら一生使わなければならなくなるのではないかといったような、得体の知れない恐怖や不安が大きかったです。私はそこまで悪い状態ではないという気持ちがあり、「意地でも生物学的製剤は使いたくない」と思っていました。
新しい薬に対する私の勝手な偏見であることは間違いありません。けれど、症状の悪化もあいまって、「生物学的製剤の治療を受けたい」というポジティブな気持ちには、どうしてもなれませんでした。「この注射をしたら、なんだか自分が駄目になってしまうのではないか」――そんな思いになっていました。
塗り薬と飲み薬でできる限りの治療をやりましたが、症状がよくならない状態が何年も続き、主治医から「なぜここまでなっても生物学的製剤を受け入れないのか」と言われたりもしました。でも、治療に対して疑心暗鬼になっていました。
主治医の先生を信じていないわけではありませんでしたが、生物学的製剤への偏見はなかなか取れなかったし、先生の言うことを素直に聞かないので、そのことで先生も困っている様子でした。いろいろ考えすぎて、もはや通院すること自体が苦痛になっていました。
そんな状況の中、とうとう根負けしたというか、「仕方ないから注射を打ってみようか」という気持ちになり、3 年前、生物学的製剤を打つことにしました。
生物学的製剤による治療を受けるために主治医に大学病院への紹介状を書いてもらって、通院することになりました。実際に打ったところ、私の場合は2 ~ 3 週間くらいで、想像以上に症状が改善しました。
顔や頭、背中、お尻など、全身の発疹がなくなると同時に、痒みや痛みも全くなくなり、熟睡できるようになりました。鱗屑を心配することもなくなったので、それまで伸ばすことができなかった髪の毛を伸ばせるようになりました。
また、後ろ向きのことしか考えられず、うつ状態でしたが、これもすっかり消えてしまいました。この変化は大きかったです。そして、生物学的製剤を打ち始めて1 年後、「何かをやってみたい」という思いがフツフツとわいてきました。
そして、その思いに突き動かされるように資格の勉強に取り組み、試験にも合格しました。今はその資格を生かせる仕事に就いています。乾癬の症状が改善しなくて完全にやる気がなくなっていた頃からすると、自分でも信じられない変化です。
最初に使用した生物学的製剤を現在も続けています。この治療を受ける前は月に2 回の通院でしたが、今は3 ヵ月に1 回になったので、通院のストレスも軽減されました。外見が改善されたので、人の目を気にするというストレスも全くなくなりました。
せっかく症状がおさまっているので、悪化させないよう脂っこいものや肉類を食べ過ぎないように心がけています。また、1 日5,000 歩を目安に、できる限り歩くようにしています。乾癬の人は、適度な日光浴が良いと聞いているので、日中は意識的に日光を浴びるようにしています。
これほどまでに改善したから言えることなのですが、生物学的製剤を勧められた時、もっと素直に主治医の言うことを聞いておけば良かったと思っています。症状に苦しんだ数年間は、いったい何だったのかと。患者さんと医師が情報を共有し協力し合うことがいかに大切であるかを、今はしみじみと感じています。
乾癬と診断した皮膚科の先生から、患者会(鹿児島乾癬患者会)の存在を教えてもらい、参加を勧められたので、32 歳の頃からになります。
なぜか患者会に対する偏見はなく、素直に「行ってみよう」と思ったんです。実際に行ってみると、私が一番年下だったせいか、とにかく相談医の先生も会員の先輩方も優しく接しくれて、親身に会話してくれました。それが嬉しくて、その場で入会しました。
患者会には、会長の重田茂和さんをはじめ、私よりもずっと長い期間、乾癬で苦労してこられた方々がたくさんいます。なので、乾癬で悩んでいること、どうしたらいいのかわからないことなどを、何でも打ち明けることができ、それに対してさまざまなアドバイスをしてくれるので助かります。どんなことを相談しても、「大丈夫だよ」と温かく受け止めてくれるので、症状がひどい時でも患者会だけは積極的に参加するようにしていました。
患者会のメンバーは、明るく楽しい人ばかりなので、みんなでワイワイガヤガヤ話していると、乾癬という病気にかかっていることをすっかり忘れてしまうほどです。私にとって患者会は、なんでも話を聞いてくれる心地良い居場所です。
症状が悪化して引きこもってしまった時期でも通い続けたという患者会「鹿児島乾癬患者会」の会長の重田茂和さん(ようこそ! 患者会 鹿児島乾癬患者会(KAPPA) 参照)と。
乾癬の悩みだけでなく、心置きなく話せる大切な仲間でもある
乾癬がひどい状態になると孤立しがちです。見た目にわかる病気だけに、私もそうだったように「誰にも会いたくない」と思うようになることがあります。そうすると余計に一人で抱え込むことが増え、つらさが増すばかりだと思います。そうならないようにしてくれるのが患者会の良さだと思います。
「どんなにひどい状態になっても、患者会だけは参加したほうがいい」と、会員の先輩から言われたことがあります。でも、外見がひどい時には患者会に行くこと自体、勇気がいります。その第一歩を踏み出すことが、治癒への近道になるのではないかと思っています。
症状に苦しむ期間を何年も過ごしてしまったことについての自己反省も含め、治療法についての私からのメッセージは、「もし、今使っている薬があまり効かなくて悩んでいる人は、新しい薬が出たら率先して手を挙げて医療関係者に相談した方が良い」です。乾癬は、想像以上に手強い病気ですが、生物学的製剤をはじめ治療薬も年々進化しているので、主治医と相談しながら、自分の状態に応じた治療薬の恩恵を受けるべきだと思います。
なぜなら、症状が改善すると、そこから希望が出てくると思うからです。私の場合、朝も夜も1 日中、改善の兆しが見えず、乾癬のことだけを考えていた時期が長く続きました。そんな暗闇のような世界から解放してくれたのが、私の場合は生物学的製剤でした。
チャレンジしたからこそ希望につながりました。きっと良くなる、そう希望をもって治療をしてほしいと思います。
「Rebrand Yourself 2023 Vol.2」2023年 5月掲載
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