治療のターゲットがはっきりして嬉しかったことを覚えています| わたしの乾癬物語【明日の乾癬 by UCBCares】
みんなの乾癬物語
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CHAPTER 08
自分はアトピー性皮膚炎だと信じきっている乾癬患者さんは意外と多いのかもしれません。
塚田知伸さんは、「治らないアトピー」で幼少期・青春時代を過ごしました。諦めてのんきに過ごしていた日々と、乾癬とわかって治療に取り組んできた日々を振り返りながら話していただきました。
物心ついた頃には乾癬を発症していたようです。保育園の年長さん、つまり5 歳の頃には腕に銀白色のカサブタができていたことを覚えていますし、写真にも残っています。
私には双子の妹と4 歳上の姉がいるのですが、姉の記憶によると、福島に住んでいる祖母の家に夏の間預けられて、帰ってきた時には2 人とも“とびひ”になっていたそうなんです。祖母が作った薬草のドクダミの軟膏のようなものをつけたら、妹は治ったけれど、私はなかなか治らなかったようです。
子どもの記憶ですから、本当のことはわからないままです。母は、私の4 つ上の姉がアトピー性皮膚炎で、魚を食べると痒くなる体質だったので、私もアトピーだと思っていたようです。
医師に診てもらうこともなく、何か薬を塗ることもなく、皮膚が痒くなる食べ物を控える程度の食事療法をしながら、小学生になっても、私も含め家族も皆アトピーだと思って過ごしていました。
同級生のアトピーと私の皮膚の症状が明らかに違うと気付いたのは、小学校の高学年の頃でした。けれど母はアトピーだと思い込んでいましたし、地元に1軒だけある皮膚科を受診してもアトピーと診断され、薬を処方されていました。皮膚の状態がなかなか治らないので薬は増える一方。多い時は飲み薬を7 種類も服用していました。
そのうち、母が仕事に行くことになり、平日に私を皮膚科に連れて行けなくなりました。日中、私と双子の妹を預かってくれる祖母も商いをしているので、やはり平日は皮膚科に連れて行けない。
皮膚科の診療所は1 軒しかなく、子ども一人では行かれない場所にありました。そういう状況だったのに、「私がちゃんと治療に行かないから治らない」と母から責められたりしたこともあって、病院に行くのが嫌になってしまいました。
母が勤務している病院から塗り薬をもらってくるようになったので、それを塗っていました。おそらくワセリンだったと思うのですが、全く治りませんでした。ひどい時は皮膚が割れて出血したり、発疹がくっついて大きなかたまりになったり。カサブタができると剥がしたりしていました。
中学時代は部活に明け暮れていたので、真面目に皮膚科を受診していませんでした。相変わらず母がもらってくるワセリンか、皮膚科で処方される軟膏を塗ったりする程度。祖母がとにかく心配してくれて、住まいが温泉地だったので、毎週末あちこちの湯治に連れて行ってくれました。
周囲は単に「アトピーがひどい」子という認識でしたから、意地悪なことを言われることもありませんでした。その点では恵まれていたと思います。
また、皮膚症状は腕と足がひどかったものの、顔や頭にはなかったので、悪化しても周囲の目が気になることもなかったです。痒いのでかきむしってしまって出血したり、それが試験中だと答案用紙についてしまったりして嫌だなと感じる程度でした。
ただ、中学校から制服になったため、同じ服を着ていると私だけ腕が赤いとか、足が赤いとか、みんなと違うことが気になり始めました。特に夏は、半袖を着ると腕の症状が目立ってしまうので、とにかく肌を隠したいという思いが強くなりました。一方冬になると、ストッキングを履けば痒くなるので、ストッキングで足を隠すことができませんでした。
高校時代から専門学校時代にかけては、アトピーに良いといわれる食材を積極的に食べたり、石鹸を変えてみたり、それなりに努力をしたこともあります。ただ、一向に改善しませんでした。それでも「大人になったらアトピーはおさまる」と思い込んでいたこともあり、のんきでしたね。
友人と歩いている時、周囲の人が私の足を見てギョッとした顔をしたのを目の当たりにして、「私の皮膚って隠さなければいけない状態なのかな」と思うことがありました。
また、友人と温泉に行って足湯を楽しもうとした時に、長い行列に並んで順番を待ち、やっと順番が来たと思って足湯に足を入れたとたん、回りの人がサーッといなくなってしまったこともありました。私たちの後ろにもたくさんの人が並んでいたのに、その人たちもいなくなり、気付いたら私と友人の2 人きりになっていました。私に気を遣って、その事態に気付かないふりをしてくれた友人に申し訳なく思いました。
ドクターフィッシュ体験をした時も、ドクターフィッシュがみんな私の足のところに集まってきて気まずい思いをしました。そうした経験が重なったことで、「これはちゃんと治そう」と思うようになりました。
これまでとは別の皮膚科クリニックを探して受診し、そこで初めて乾癬だと診断されたのですが、その時はショックというより、むしろ嬉しい気持ちのほうが強かったです。
アトピーではないとわかって腑に落ちたというか、「どうりで何をしても治らなかったわけだ」「治療のターゲットがわかって良かった」と思いました。21 歳か22 歳の頃だったと思います。
膝から足首までの発疹がすごかったのですが、ステロイド軟膏などの塗り薬を塗ると面白いほど効果があり、きちんと塗ればきれいになりました。とはいうものの、毎日はなかなか塗れないものです。塗るのをさぼって、しばらくすると再び悪化する、また真面目に塗るといったことを繰り返していました。
今は、薬を塗る時間になると教えてくれるアプリがあるので、塗り忘れはなくなりました。もともとはアトピー性皮膚炎用に作られたアプリですが、自分の皮膚の状態を写真に撮って記録していけるので、良くなってきているのを見るとモチベーションが上がります。そのほかにも、食事や運動、体重などを一括管理できるダイエットアプリも活用しています。
私の乾癬は春と冬に発疹が出やすくなるようです。これまでの生活の中で、たとえば体が痒くなるのは、お酒を飲んだ時、吸湿発熱機能のインナーを着た時、ファンヒーターやコタツで温まった時、ごついベルトなどを着けて締め付けてしまった時などなので、そうしたことは避けるようにしています。
過度のストレスがかかった時にも全身に発疹が出たことがあるので、とにかくストレスがかからないようにも工夫しています。
主治医に「軟膏を塗るのが面倒で仕方がない時はどうすればいいか」と相談したところ、「すごく効果の高い注射もある」と言われました。けれど私は、効果があったとしても高額で、いつまで続ければいいのかわからない治療は負担が大きく受けられません。
私は2度結婚して子どもが2人います。再婚する時「ごめんね、私は治療費がかかるからね」と主人に言ってありますが、だからといって毎月数万円もかけるのは申し訳ないと思っています。今のところ見た目にそれほど目立っていませんし、まだ関節の症状も出ていませんから、症状が進んだら考えようと思っています。
実は、主人はアトピーで、子どもはダニアレルギーのようです。どんな時につらい症状になるのか、どうしたら症状がおさまるのか、私のこれまでの経験を活かして2人を支えられたらいいなと思っています。
私の場合、顔や頭という最も人から見られる部分には発疹が出ませんでした。けれど、パーマをかけた時、パーマ液が頭皮に触れた時は痒くなって、かきむしるうちに出血したことがあります。安心できる美容師さんに出会えるかどうかは、とても大きい問題です。
私の美容師さんは乾癬に理解があるので、何を使ったら痒くなるのか、どれを使ったら痒くないのか教えてほしいと言ってくれます。パーマ液が頭皮につかないように毛先だけにパーマをかけたいとか、パーマ液は刺激の弱いものを選びたいという相談にものってくれるので助かっています。
その美容師さんに「乾癬であることを伝えたら美容師さんから断られた知り合いがいる。可哀相だった」と言ったら、「美容院に来たことで乾癬の症状がひどくなった時に訴えられたら困るからではないか」との答えでした。それぞれの立場もあるのだと思いました。患者さんたちが乾癬を理解してくれる美容師さんに出会えればいいのだけれど、と思います。
10 年くらい前、SNS のmixi(ミクシィ)で、東京の患者会がウィメンズセミナーを開くことを知り、参加しました。それまで乾癬のことを話せる友人がいなかったので、ここで友人ができるかなと期待していたら、その時の参加者は年配の方が多くて。たとえば、「脱毛がしたいんだけど、乾癬だからと断られちゃって…」と相談すると、「そんなの60 歳過ぎたら生えてこないから大丈夫よ!」とか(笑)。「もっと若い女子と話したいなぁ」と当時は思いましたね。
今は私も年を取ってきたので言われたことを実感しつつありますが、若い患者さんは、脱毛やネイル、メイクなどでの悩みも多いと思います。もう少し若い子向きの活動が増えるといいなと思います。
数年前にモデルの道端アンジェリカさんが乾癬であることを公表して、患者会のウィメンズセミナーにも参加するなど一生懸命に活動されています。そのせいか、患者会に参加する若い世代が増えてきたように思います。
若い人ほど、感受性が豊かで悩みが複雑だったりしがちのはず。同じ病気の人とつながることで、そうした不安や悩みを少しでも解消してほしいと思いますね。
「Rebrand Yourself vol.3」2022年9月掲載
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