乾癬に向き合った経験があるから | わたしの乾癬物語 【明日の乾癬 by UCBCares】
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CHAPTER 04
会う人を笑顔にする明るさを放つ村上彩さん。乾癬だけでなく、指定難病である多発性筋炎も発病し入院が重なっていますが、
乾癬と向かい合ってきた経験があるからこそ、現在の難病とも前向きに付き合っていくことができていると語ってくれました。
中学2年生になった頃です。インフルエンザにかかって42度の熱が出た後、しばらくしてからうなじに発疹が3つ位できているのに気付きました。「ニキビのようなもので自然に治る」だろうと考え、そのまま放置し、勉強している時や何となくイライラする時に触っていました。
ある時リビングで勉強していて、ふと床を見ると鱗りんせつ屑がたくさん落ちていて、自分でも驚きました。それまで発疹のことは誰にも話していなかったのですが、この時に母に気付かれました。でも母はフケがすごいだけと思っていたようです。
祖父が内科と皮膚科の開業医だったので診てもらったところ、尋常性乾癬と診断されました。でも、まだ「ニキビと同じだろう」という認識しかなく、気が向いたら処方された薬を塗る程度。発疹がうなじと頭皮にしか出ていなかったこともあり、治療しているとは言い難いほど、いい加減でしたね。
ただ、不潔だと思われないように、いじめられないようにという思いは強く、学校で休み時間になるとトイレで肩に落ちた鱗屑を払ってばかりいました。ひたすら隠すことに必死だった中高時代は、私にとって暗黒時代(笑)。あの頃には戻りたくありません。
今から思えば、この頃から真面目に治療しておけば良かったのですが、軟膏でベタベタになるのが嫌だったので、そうは考えませんでした。
大学生になった頃には、頭部だけでしたが症状は悪化していました。飲食店でアルバイトして数ヵ月経った時、仲良くしていたアルバイト仲間から「皮膚が赤くなってるよ、どうしたの?」と指摘されたことにショックを受け、皮膚科に通院するようになりました。塗り薬とローションを処方され、真面目に塗り、一旦は良くなりました。
社会人になってしばらくすると、ストレスが多くなったり食事が不規則になったりしたせいか、全身にポツポツと発疹が出るようになりました。会社のお客さまの目も気になり、大きな会議やイベントの前は、集中的に治療をしたりしました。
そんなある日、大学時代からの友人に勇気を出して乾癬であることを伝えました。友だちは、「ふーん、そうなんだ。実は、私も肌が弱くてニキビで悩んでいたんだよね」とごく自然に受け止めてくれました。「誰かに言われるよりも前に、自分から言ったほうが気持ちが楽だ」と、この時実感しました。
私は、人気のあるお店に食べに行きたいし、流行の服も楽しみたい。せっかくの休みを楽しめないのは嫌なので、一生懸命に治療するといった感じでした。
20代の頃、インターネットで患者会の存在は知ったのですが、ホームページの写真は年配の方ばかりだし、ホームページそのものが古い感じのデザインだったので(現在は新しくなっています)、「怪しいなぁ」と思っていました(笑)。
そのうち20代限定のイベントがあると知り、「それなら行ってみようかな」と思ったんです。ただし変な勧誘に乗せられても大丈夫なように所持金は極力少なくするとか、かなり緊張して参加しました。ところが会場に行ってみたら、当時、家族とも話したことのない“乾癬あるある”をたくさん話し合うことができて、本当に楽しかったです。
患者会で乾癬について話す回数が増えていくにつれ、それまで乾癬のことを伝えていなかった友人にも話しやすくなりました。いろいろな意味で肩の力が抜けて、患者会に参加して良かったと思います。
乾癬の症状は軟膏とローションだけで何とかおさまっています。ラッキーと思っていたら、2020年の11月に、多発性筋炎という病気を発症し入院してしまいました。多発性筋炎は、筋肉に炎症が起こって筋肉に力が入りにくくなったり、疲れやすくなったり、痛みが出たりする病気です。膠原病の1つで、国の指定難病です。
入院する前は、階段を上るのがつらい、バスの手すりをつかまらないと足が上がらない、午後になると足に力が入らず、その場に座り込みたくなる、という体調でした。さすがにおかしいと思って、通院していた皮膚科クリニックの先生に紹介状を書いてもらって大学病院を受診。そうしたら、そのまま入院することになってしまいました。
ステロイド剤と免疫抑制剤で治療をしたところ、時間はかかりましたけれど、なんとか3ヵ月で退院。その後、2回、1ヵ月ずつ入院しました。薬の効果が出るのが1ヵ月後なので、その間は感染症を起こしやすいこともあり入院になってしまうのです。
最初に入院した時が一番症状が悪く、食べることも起き上がることも、話すこともできなくなりました。相当落ち込みましたが、それでも治療をあきらめないと思えたのは、乾癬という病気の経験があったからだと思います。
多発性筋炎の治療薬は、乾癬にも効果があったようです。現在は、ポチッと発疹が出ることもあるので、その時は塗り薬をつけている程度です。
私は、たとえば「夏になったらノースリーブを絶対に着る」とか「半年後の友だちの結婚式には素敵なドレスを着る」とか、何か目標があったほうが治療のモチベーションが上がるので、小さな目標を立てながら治療をするようにしています。
今日という1日を楽しく過ごしたいと思う気持ちが人一倍強いというか…。
もちろん、入院するたびに落ち込みますが、退院後には美味しいものを食べに行こうとか、コンサートに行こうとか、無理してでも目標を見つけるようにしています。
乾癬で思い悩んだ日々で味わった暗い気持ちを払拭する上で、いかに楽しみを持つことが大切かを経験しましたから、そのせいかもしれません。特に最近は、コロナの影響によって自宅で過ごすことが多くなりましたから、その分、食べる楽しみとか、買い物をする喜びは増していますね。
リハビリや自主トレに真剣に取り組んだおかげで、ゆっくりではありますが、杖もなく自力で歩くことができます。疲れてくると歩くのが遅くなってしまうので、一緒に遊びに行く親しい友人には多発性筋炎のことはオープンにしました。
食事の面では、タンパク質をちゃんと摂る、高カロリーのものは摂らない、野菜をたくさん食べるなど、なるべく体に良いものを摂取しようという意識が高くなりました。これは乾癬にも良いのではないかと思っています。それに病院の食事は薄味なので、退院後は味覚が敏感になり、美味しいものはより美味しく味わえています。
実は、また入院での治療を予定しているのですが、点滴するだけなので、最短で退院したいと思っています。友だちがディズニーランドで結婚式を挙げるので、それには絶対出席したいんです。それが今の目標です。
入院して10キロ痩せたので、夏には海に行きたいと思っています。乾癬の皮膚症状が出ていた頃は患者会で行った時しか水着になれなかったので。沖縄にも行ってみたい。痩せているうちに思いっきりおしゃれをしたいし、今まで着たことのないような個性的なファッションにもチャレンジしたいです。
多発性筋炎の発症がきっかけで今は仕事をやめていますが、筋炎がおさまってきたら、在宅ワークなどで社会復帰もしたいと思っています。
目標が叶わなかった時にショックを受けて挫折しないように、目標に執着しないことも心がけています。「こうなったらいいなぁ~」という軽い気持ちで目標を立てて、目標を達成できなかった時は「だめだったかぁ~。またがんばればいいかぁ~」というくらいにしておきたいんですね。
正直なところ、乾癬は自分の中でしっかり受け入れられていますが、多発性筋炎は重症度が高いので、そこまで割り切れていません。
たとえば、多発性筋炎になってから、常に携帯するように言われて躊躇しているのがヘルプマークです。本当はヘルプマークを着けなくてはいけないとわかっていても、私はまだ若いし、ヘルプされる側ではなくヘルプする側なのではないかと思ってしまうんです。
私は、これまでの経験から、「一人で悩んでいてもあまりいいことにはならない」と確信しています。
私なんかより乾癬の症状がすごく重くて、本当につらい思いをされている方がいらっしゃるでしょうから、私のような立場で言えることではないかもしれません。でも、いろいろな人とつながりを持ちながら視野を広げていったほうが、治療にもいいし、精神的にも追い詰められないで済むと思います。もし乾癬で孤独になってる人がいたら、「誰でもいいので話しやすい人に相談するようにしたら、道は開けるよ」と言いたいと思います。
「Rebrand Yourself vol.1」2022年5月掲載
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